-2部で見るアドベンチャーシリーズ-
-デジモンアドベンチャー無印と02を通してみた時、
個人の印象としては02での新たな選ばれし子供(大輔、京、伊織)
に関して無印ほど内面が詳しく描かれていない様な気がします。
02では現実世界のシーンが多いはずなのに、無印から比べると家族との関係性がそれほど深く描かれてませんでした。
(伊織の件については及川を描く上で伊織の祖父や父親の存在があるので、若干深く描かざるおえなかったのかな?とかも思いますね。)
大輔に関してはジュンと仲が悪いと描かれてはいますが、明確な和解や関係の変化というシーンはありませんでした。
(べリアルヴァンデモンのマインドイリュージョンにて大輔が惑わされていなかったので、ジュンに対して既に不満はないって事にはなるかもしれませんがね)
京に関しても、普通に兄弟の多い家族。両親ともなんだかんだ言っても上手くいっているような普通の家族に見えます。
しかし実際は、一人の時間が欲しいという家族が多いが故の悩みが隠れていました。
勝手な解釈ですが、兄弟が多いと親の愛情が分散され、何かと我慢することもあるので、愛情を自分だけに向けてほしい。みたいな兄弟特有の悩みだったのかもですね。。
どちらにしても、正直マインドイリュージョンにより初めてわかる事実でした。
さて、逆に敵側についてはどうでしょう?
順を追って見て行きたいと思います。
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-賢と治の場合-
1話~21話まで横暴をふるっていたデジモンカイザー賢。
ここまでしか見なければ、完全なる悪です。
しかしその考えは23話で180度逆転します。
23話は少し大人になってから見ると、いろいろ考えることがあり、他人事じゃないような気がしてきますね。
このストーリーに関しては皆さんもご存じだと思うので割愛しますが、 これを見て悪側の内面が非常に鮮明に描かれていることがよくわかります。如何にして彼は悪となったのか??と言う過程。
むしろ敵だったはずなのに、同情したり「デジモンカイザーは悪だ!!」という 気持ちが揺らいでしまいます。
さらに1話から21話までに治の写真や治の話について一切出てこなかったのも 狙ってのことだったのかもしれません。なんせ、賢が何故悪に染まってしまったのか?という謎を解くカギとなる重要な人物ですから。
家族関係の問題やその後家族との和解等の話は賢が一番印象的だと感じています。
更生してから選ばれし子供達と本当の仲間になるまでの描き方や仲間を呼ぶセリフ聞いてるだけでも、その時々の距離感が分かりますね
彼の闇は、兄に対する劣等感や嫉妬、更に不慮の事故が起こった時に偶然思ってしまっていた兄に対しての感情。そんな『罪の意識から逃れたい。』
と言う思いがデジモンカイザーという悪を誕生させてしまったのかもしれません。
ちなみに兄弟に関して、比べてみると無印組は仲が良いんですが、 02組は兄弟との関係が若干上手くいっていないという風に対照的ですね。これは意図して対照的にしたのか気になるところです。
脱線-治の闇 -
話は脱線してしまいますが、ドラマCDオリジナルストーリー2003年春の「春の陽射し」を聞くと、何でも出来た治に嫉妬していた賢ですが、逆に治も賢に嫉妬していたんじゃないかと思うのです。いつの頃からか賢に冷たく当たり始めたのは、なんでも持っていると思っていた治は、
自由を持っている賢(自分には持っていない物を持っている賢)に嫉妬していたから
かもしれません。
あの年齢の子供が当たり前のようにできる事が天才が故に出来ない。
自分は普通の子供とは違う。自分が一番であり続けなければならないというプレッシャーがあるのかもしれません。
及川が、治のPCのアドレスを知っていたことから、治が冷たくなったのは及川とどこかで接触したから?とも場合によっては考えられたり
まぁ、賢が選ばれし子供と気付くのは治の葬式の時ですので、その前に治に接触していたという線は薄いかな。 自分でデジモン作ってしまうくらいですので、治のメルアドくらい簡単に調べられるでしょうし。
ただ、22話まで出てこなかったと言うことは天才だった治が今の世間では忘れられてしまっているんですよね。 カイザー時代の賢から比べたら治はちょっと頭が良かったという位置づけになっている可能性もあります・・
9話のインタビュー映像をDWから見ているいつもとは違うカイザーの表情
あれは自分は天才などではなく、本当の天才は兄であるのに、誰もその話をしない。忘れられてしまった兄への悲しさが無意識のうちに出た表情だったのかもしれません。
更には、天才と言う肩書があるだけで人の自分の見る目が違う(天才ではない時の自分と比べると周りの接し方が180度違う)と言う現実。
つまり世間にとって賢自身が必要としているわけではなく、「天才と言う人間」が必要だという事=そんな世界への憤りや虚しさがありそうですね。
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-ブラックウォーグレイモンの場合-
ブラックウォーグレイモン。彼の存在は「生まれながらに悪の存在」「存在自体が悪」でした。
そして、自分ではどうしようもない宿命を背負った感じでしたね。 彼の行動目的は単純明快。「強い相手と戦う事」
正直普通のデジモンであれば対して問題ではないはず。
野生のデジモンなら強い敵と戦ったり、倒したりする行為自体は悪い事ではないと思うのです。
更に辺りかまわず全てのデジモンに攻撃を仕掛けるという事はしませんでした。
怯えているクワガーモンに対しては見向きもせず去っていく所もありましたね。 (ホーリーストーン登場までは・・)
ただ、彼は、存在自体がDWの世界を脅かし、やがては、存在しているだけでDWを滅ぼしてしまう「ダークタワーデジモンであったがため」に、 「悪」と決めつけられてしまう存在になってしまいました。
一方的に悪と決めつけられてしまうほど悲しいことはないと思います。
更に「心」と「生き物」についての問いもありました。
3作品目のテイマーズでも「心」と「生き物」について触れられてましたが、 果たして「心を持ってる=生きている」なのかな?
02だけに関しては 「心を持っている=生き物=悪い奴でも倒せない」 と考える伊織と、「心を持ってる≠生き物(?)=DWを脅かす暗黒の存在なら心を持っていても倒す」と考えるタケルで選ばれし子供それぞれの正義の対比が見れた
ような気がします。
こう見ると、ブラックウォーグレイモンの存在に関してDWや選ばれし子供達を正義と見れば「悪」ですが、視点を変えて考えると、 悪の存在とは思えないんですね。(ホーリーストーン破壊するのはダメなことですけど、 そこは内なる本能に逆らえなかったのかもしれないですね、)彼は生涯を通して「悪とは何か??」を考えさせられる存在。
そして、最終的に自分の力を使い、安易にデジモンが現実世界にやってこないようにゲートを封印し、DWと人間界を将来的に守ったという のですから、皮肉なものです。果たして彼は悪だったのか、正義?だったのか・・
ちなみに、少々話はそれますが、Bウォーグレイモン、メタルグレイモン(青)、スカルグレイモン、グレイモン(イービルリング付)と初代主人公デジモンの 進化形態が敵として出てきたことになりましたね。
ある意味初代の最強?デジモンを越えるという02組の試練が作品に隠れていたのかもしれません。 -
-及川の場合-
及川に関しては、今だから気持ちが分かる、共感できると思えるような部分が沢山あった存在でした。
デジモンの存在を最初に知った人間?ではないかもしれませんが、ずっとデジモンと言う未知の生物の存在を信じ続け デジモンを愛した及川。
そして、話での同じ道を背景に小学生~大人になるまでの及川を見ると、ヒロキとの出会いにより及川は一人ぼっちではなくなったんですね。 しかし、ヒロキの死により再び一人になってしまった。
そんな時DWへ行く太一達8人を目撃してしまった。
どう願ってもあの子供たちの様にDWには行けなかったわけです。
きっと悔しさは相当なものでしょうね。そんな時 ヴァンデモンの甘いささやきが・・・正直誘いに乗ってしまう人は大勢いるんじゃないかと思ってしまうわけで。
『愛するが故の暴走』ではありませんが、挫折や現実逃避により、及川は悪の道に足を踏み込んでしまったのでしょう。
ヒロキの墓の前でアルケニモンとマミーモンの幻聴。弱い・自分が認めたくない自分自身の姿から逃げている
ようにも見えました。 勿論悪い部分はヴァンデモンであり及川は操られだけとはなっています。
ただ、及川自身は自分の声だと思っていたので、彼本人が持つ心の闇が少なからず原因を作ってしまったのは確かですね。
何はともあれ、選ばれし子供たちの敵として現れたはずなのに、完全に悪だ!と言い切れない存在でした。
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-まとめ-
そんなわけで長々書いてしまいましたが、3人を見ると、やはり主人公より内面まで描かれていてる感があります。そして彼らは確かに悪ではありますが、無印の敵の様に完全なる悪と言い切れない部分がありますね。
と言うより意図してそのように作り込まれてる気がします。
そして共通してあるのは現状の自分・認めたくない考えたくない事から逃げていた
と言うことです。
賢もブラックウォーグレイモンも及川も無印の敵の様にただ主人公達を倒しにかかるシーンだけなら、ここまで共感したり同情したりしないと思います。
勝手な解釈ではありますが、デジモンアドベンチャーシリーズの小説を2部に分けるとしたら、
無印は『光側』を描いた作品で、02は『闇側』を特に描いた作品なのではないか?とも思えるのです。
(モデル作品の1つでもあるスタンド・バイミーの主人公は将来はタケルを思わせ、少年時代の背景は賢を思わせています。賢は主人公ではありませんが作品の構成としてはヤハリ影の主人公ですねw)
選ばれし子供だとしても特別ではない。
賢の様に悪の道に進む人間もいるし、 マインドイリュージョンの術に大輔以外惑わされたことからも分かるように、 主人公側として描かれている子供たちにも、不満や悩み(心の闇)があることが分かり、 選ばれし子供であろうがそうでなかろうが、同じ普通の子供である事。
何も特別な存在じゃない事を描いてる気もしました。(心の闇については無印でもヤマトや空が心の闇の洞窟で描かれていましたね。)
ただ、悪側の3人とは違く、京、伊織、光、タケルは不満や悩み(自分の中の闇)から目をそらさず、それを受け入れて『前に進もうとする心』
があり、それをパートナーデジモンが直接導くのではなく諭して気付かせてあげている所が面白いなと思いました。 賢も、逃げていた過去とは違く、49話では「それを乗り越える」というシーンを描いたことで彼の成長が感じさせられるシーンにもなってましたね。
タケルをこの小説の作者と考えるなら、アポカリモンとの最終決戦で気づいたこと(敵が残した光と闇)や 、2027年までに起きたパートナーデジモンのいる人間といない人間との様々なトラブルを踏まえて、2027年全人類にパートナーデジモンが存在する時代になって改めて、光側(正義)と闇(悪)両側を理解してもらえるような内容にしたのかもですね。
どんな闇の中でも決して光を失わない事が「希望」なら光と闇両方の個性を特に有しているタケルが光と闇両側から描く作者に相応しいとも思えます。
結局全然纏まってませんが、心が折れそうな時は02を見ると結構勇気づけられますねww
題名をクリックすると考察文が読めますよ